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2019年度(第16回)日本植物学会賞の選考結果報告

2019年6月25日

=2019年度(第16回)日本植物学会賞の選考結果報告=

 公益社団法人日本植物学会は、大賞をはじめとして、学術賞、奨励賞、若手奨励賞、特別賞を制定し、植物学に関する研究業績、日本植物学会員あるいは非会員による学会への貢献に対して広く顕彰を行っています。選考にあたっては、自薦、他薦、代議員推薦などの幅広い募集形態により、多くの傑出した研究者、才能ある若手研究者に積極的応募を促す方式がとられています。

 2019年度も例年同様多数のご推薦、ご応募を頂きました。そこで、2019年4月13日(土)に日本植物学会賞選考会議を東京大学本郷キャンパスに於いて開催し、第16回日本植物学会賞最終受賞候補者を決定しました。この結果が会長により承認され、受賞者が決定しましたので、ここに選考結果を報告いたします。

【大賞】
 会員による推薦を受けた選考対象者について、研究業績、後進の育成、日本植物学会員としての植物科学への貢献等を様々な角度より審議した結果、選考委員の全員一致により、島崎研一郎(九州大学・名誉教授)を大賞受賞者として決定いたしました。

島崎研一郎(九州大学・名誉教授)
 島崎研一郎氏は、特に気孔の開口機構に関した植物の環境応答の研究において世界に誇る業績をあげ、植物科学の発展に貢献してこられました。国立公害研究所(現国立環境研究所、1976~1989)では、各種環境汚染ガスの植物への作用を精査し、亜硫酸ガスが活性酸素種発生を介して葉緑体損傷をもたらすことなどを解明されました。また、孔辺細胞プロトプラストの大量調製法を確立し気孔機能を細胞生物学的に解析する道を拓かれました。1989年に九州大学に転じられた後は、分子生物学的手法も駆使した気孔開口機構の研究に邁進されました。特筆すべきは、フォトトロピンによる青色光受容にはじまり、孔辺細胞細胞膜H+-ATPaseのリン酸化による活性化、H+汲出しによる膜電位の過分極と活性化した電位依存性のK+チャネルによるK+の取込みによる膨圧上昇という、青色光による気孔開口の全過程を解明されたことです。これらの各過程に関わる因子の多くも島崎氏らによって同定されました。気孔の青色光効果が進化レベルの異なる維管束植物のほとんど全てに見出されることも示されました。最近では、2つの新規のキナーゼがフォトトロピンとCO2からの両方の情報を受け取る収斂点となり、青色光と低CO2 による気孔開口を引き起こす共通成分であることも示されました。これらの業績により、日本植物学会賞学術賞(2011年)、日本植物生理学会賞(2012年)、アジア・オセアニア光生物学会賞(2013年)を受賞されています。同氏は、日本植物学会の理事(2005~2008)をはじめとする各学会の役員を務められ、学会活動にも貢献されました。また、多くの教科書を執筆、監訳されたほか、全国高等学校理科教育研究会や生物学オリンピック等で講演されるなど、発展著しい植物科学の啓蒙にも努められました。
 以上のように、島崎氏の日本植物学会および植物科学の発展に対する功績は顕著であり、日本植物学会賞大賞にふさわしいと判断いたしました。

【学術賞】
 会員による推薦を受けた選考対象者について、研究業績のプライオリティー、独創性、国際的評価、植物科学の発展への貢献などについて審議した結果、西谷 和彦氏(神奈川大学理学部)を学術賞受賞者として選出しました。

西谷 和彦(東北大学大学院 生命科学研究科;現 神奈川大学 理学部 生物科学科)
「細胞壁再編酵素XTHの発見を基にした新しい植物細胞壁像の構築と研究領域の開拓」
 西谷和彦氏は、植物細胞壁を動的な情報処理システムとして捉えることにより、それまで見逃されていた植物細胞壁の高度な機能機能を解剖するアプローチを切り拓きました。そのアプローチにより,新しい細胞壁像を打ち立て、独創性の高い研究を展開し、この分野の世界的リーダーとして活躍されています。なかでも、エンド型キシログルカン転移酵素/加水分解酵素(XTH)の発見と、ペクチンメチルエステラーゼの新規機能の解明は新しい細胞壁像構築の基盤となる成果で、国際的に高く評価されています。西谷氏は、酵素の精製を行う為に、組織をすりつぶさずに、アポプラスト中の細胞壁酵素のみを抽出する方法によりXTHの精製に成功し、XTHによるキシログルカン分子鎖の繋ぎ換え反応を実証しました。この発見により、それまで仮説の段階であった細胞壁の高次構造の再編過程が始めて実証され、植物生理学の教科書の細胞壁像が刷新されることになりました。また、近年では、セルロース分子をつなぎ換える酵素を発見し、セルロースエンド型転移酵素(Cellulose Endo-Transglycosylase;CET)と名付けました。この発見により、細胞壁の高次機能の基盤となるXTHファミリーの酵素機能が見直され、Albersheimが1973年に提唱して以来半世紀にわたって定説とされてきたモデルに代わる新しい細胞壁モデルを現在提唱しています。西谷氏は、植物細胞壁の構築と再構築といった、極めて基本的な構造を明らかにしただけでなく、パルプや様々な植物繊維の力学的な性質を理解するような応用面での新たな研究領域を開拓したとも言えます。また、CET の発見は、植物細胞壁の高次構造の構築や再編に関する従来の考え方を覆すだけでなく、これまで不可能とされていたセルロース分子の酵素による修飾や改変が原理的に可能であることを示した点で大きな波及効果が期待される成果です。このことにより、天然セルロース分子を、常温常圧下の、安全な水溶液中で、自在に加工し、付加価値をもった天然素材を創出することも可能となってきたと考えられます。
 西谷氏が植物科学の発展に大きく貢献していることは疑いようがなく、西谷氏の業績は日本植物学会学術賞に、まさに、ふさわしいと評価されます。

【奨励賞】
 会員推薦と自薦とを合わせて8名の選考対象者がおりました。まず、各審査員が、申請書類を基にした書面審査を行い、5段階評価とコメントを記した評価表を作成しました。次に全委員の評点とコメントの集計結果を基にして合議により審議を行いました。選考に当たっては、研究内容、研究分野、日本植物学会大会に於ける発表の状況やJournal of Plant Researchでの論文発表など、本学会における活動を考慮しつつ総合的に評価しました。その結果、優れた研究を行い、将来の発展が期待される若手研究者として、奥山 雄大(国立科学博物館)寿崎 拓哉(筑波大学)土松 隆志(千葉大学大学院)(五十音順)の3氏を奨励賞受賞者として選出しました。

奥山 雄大(国立科学博物館 植物研究部)
「チャルメルソウ類をモデルとしたフィールド・遺伝子研究統合による植物の種分化研究」
 最近の分子遺伝学的研究の発展により、植物においてもシロイヌナズナやイネをはじめとするモデル生物において全ゲノム配列が決定され、その成果に基づいて進化学的な研究成果が多く出されています。しかし非モデル生物ではゲノム・遺伝子情報を利用した種分化・適応研究は、つい最近まで困難でした。奥山雄大氏は、適応進化や種分化に関する生物間相互作用の役割について興味を持ち、チャルメルソウ類(ユキノシタ科)をこの進化学的研究のモデル系として用いることにより数々の研究成果を挙げてきました。
まず、チャルメルソウ類53種において送粉様式を解明し、チャルメルソウ類の多くの種でキノコバエ類と特異的な共生関係が存在することを発見しました。さらに分子系統解析の結果から、キノコバエ類との特異的な送粉共生がチャルメルソウ類の花形質を特定の方向に繰り返し進化させたことを明らかにしました。一般に動物による送粉は被子植物の多様化に大きな影響を与えたと信じられていますが、本研究は実際にどのようなプロセスで送粉者が花形質の適応分化に関与してきたかを詳細に明らかにした数少ない例です。
 これらの成果を基盤として、各種の送粉者と花香成分組成を網羅的に解析することで、送粉者の特異性に関連する花香物質ライラックアルデヒドを特定し、送粉者を用いた行動実験などから、このライラックアルデヒドの獲得/喪失が送粉者の切り替えを引き起こし、送粉者の違いによる生殖隔離を生じさせるメカニズムとなりうることを示しました。
 奥山氏は、送粉者の変化による被子植物の種分化に花の香りの進化が重要な役割を果たすというモデルを提唱し、一般性を探るために他の植物に研究対象を広げ、進化生物学、生態学、遺伝学といった多角的な視点から研究に取り組んでおり、今後の進展が大いに期待されます。

寿崎 拓哉(筑波大学 生命環境系)
「根粒形成を正および負に制御する分子機構の解析」
 根粒共生は、共生器官である根粒器官形成と、根粒菌感染の同調的な進行により成立します。2000年初頭に単離された根粒共生を司る宿主遺伝子の多くは、根粒形成不全変異体の原因遺伝子として同定されたものであり、これらの遺伝子の機能解析は、根粒形成制御、及び、根粒菌の感染受容機構の解明を軸として発展してきたといえます。
 寿崎拓哉氏は、上記の流れとは一線を画した研究を展開することにより、根粒形成への関与が示唆されながら、具体的機能が未解明であったオーキシンの根粒形成初期における作用点を同定しました。この研究は根粒共生分野におけるオーキシン研究の先駆けとして高く評価され、氏が作出したオーキシンレポーターラインは国内外で広く利用され、関連分野の発展に寄与しています。
 さらに、寿崎氏は、根粒形成を負に制御する「窒素栄養」に着目した変異体の選抜と原因遺伝子の機能解明から、根粒共生における硝酸応答に関わるNRSYM1 遺伝子による根粒形成の抑制機構の存在を明らかにしました。このNRSYM1 遺伝子の発見は、窒素栄養と根粒共生制御を、世界で初めて分子レベルで関連づけた成果といえます。
 また、寿崎氏が同定したVAG1遺伝子の機能解析は、細胞分化時の核内倍加制御が根粒の初期発生過程に重要であり、核内倍加を介した植物の発生制御の新たなモデルの提唱につながりました。
 寿崎氏の研究は、根粒共生に軸足を置くものでありながら、その成果は、植物の発生制御、及び、環境応答分野へのインパクトをもたらすものであり、今後のさらなる活躍が大いに期待されます。

土松 隆志(千葉大学大学院 理学研究院)
「シロイヌナズナとその近縁種における自家受精の進化に関する遺伝的基盤の解明」
 植物において自殖は、他殖的状態から繰り返し進化したと考えられています。しかし実際の野生生物において、どのような分子遺伝学的メカニズムにより自殖が進化したかについては不明でした。アブラナ科においては、自家不和合性に関わる遺伝子座(S 遺伝子座)は雄の特異性を担うSCR 遺伝子と雌の特異性を担うSRK 遺伝子からなることが明らかになっていました。自家不和合性の喪失は、これらのS 遺伝子の変化により起きると推定されます。土松隆志氏は、モデル植物として全ゲノム配列が決定されているシロイヌナズナとその近縁種を用いてこのS 遺伝子に着目し、自殖の進化の研究に取り組みました。
 1000 を越えるシロイヌナズナ野生系統の全ゲノムリシーケンスデータをもとに網羅的なS 遺伝子座の多型解析を行った結果、逆位変異が最初に生じ、その後に様々な変異が二次的に蓄積したことが示されました。さらにシロイヌナズナ属の別の自殖種ミヤマハタザオやArabidopsis suecicaでも、同様にS 遺伝子座の雄遺伝子の機能喪失が原因で自家和合性が進化したことを明らかにしました。その上で、自家不和合性システムにおいて、雄遺伝子が機能喪失した突然変異体は花粉を通して広まるために有利であり、雌遺伝子が機能喪失したものより集団に速く広まるという仮説を立て、計算機シミュレーションによって理論的にも期待されること、さらには文献調査を通して、雄遺伝子による自家和合性の進化が野生種で一般的に見られることを示しました。
 自殖の進化に関する一連の研究は、シロイヌナズナというひとつの種の生殖形質の進化過程を遺伝子の機能も踏まえて詳細に明らかにしただけでなく、何度も繰り返し起源した形質の進化、いわば平行進化の遺伝的背景を解明し、その普遍的パターンや生態的意義を見出したものです。これらの成果は遺伝学・ゲノム学、系統学および生態学の視点から統合的にアプローチすることによりはじめて達成できたものであり、総説や進化生物学の教科書にも取り上げられるなど国際的にも高く評価されており、今後の進展が大いに期待されます。

【若手奨励賞】
 会員推薦と自薦を合わせて4名の選考対象者がおりました。本賞は、大学院生やポスドクなど意欲にあふれた若手の研究者を顕彰することを目的としています。奨励賞と同様の方法で書面審査と合議による選考を行いました。その結果、総合的評価が高かった肥後あすか(横浜市立大学)平川 健(奈良先端科学技術大学院大学)
(五十音順)の2氏を若手奨励賞として選出しました。

肥後あすか(横浜市立大学 木原生物学研究所)
「苔類ゼニゴケを用いた植物の精子形成に関する遺伝子発現制御機構と雄性配偶子形成の進化についての研究」
 植物の雄性配偶子の形態は進化の過程で大きく変化しました。シャジクモ植物やコケ植物、シダ植物、イチョウやソテツ類のような裸子植物は、鞭毛を有し運動能を持つ精子を形成します。一方で、大半の裸子植物および被子植物は、花粉管により運ばれる運動能を持たない精細胞を形成します。このような植物の雄性配偶子の共通性と多様性に関わる因子の同定は植物の有性生殖の進化を考える上で重要です。肥後氏は、苔類ゼニゴケに注目し、植物の精子形成に関わる遺伝子の発現時期の特定、およびそれらを制御する転写因子の同定を初めて行い、植物の精子の発生過程に関する分子の解明を行いました。特にゼニゴケの転写因子であるDUO1の解析から、陸上植物の進化の過程で、DUO1の制御を受ける遺伝子群が変化することで、鞭毛や運動装置の有無、核凝縮の程度の差といった有性配偶子の多様性が生じた可能性を提唱しました。さらに、陸上植物の姉妹群と考えられるシャジクモ植物の研究から、DUO1はシャジクモの祖先にあたる植物で約7億年前に生じ、精子または精細胞形成を行う植物において共通して存在すること、DUO1の精細胞特異的な発現に対する制御機構は陸上植物において獲得されたことを見出しました。
 肥後氏の一連の研究は、植物の雄性配偶子の多様化の解明に大きく貢献するものであり、今後の植物科学における本分野の進展を大いに期待させるものです。

平川 健(東京理科大学大学院 理工学研究科; 現 奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科)
「植物DNA損傷応答におけるクロマチン構造制御機構に関する研究」
 植物細胞のDNAは複製エラーのような内的要因や紫外線や放射線をはじめとする様々な外的要因によって損傷を受けます。植物細胞はこうしたDNA損傷をいち早く認識し、元通りに修復するしくみを持っていますが、その詳細なしくみについては未解明な問題が多く残されています。例えばDNAはヒストンと共にヌクレオソームを基本構造とする高次構造体クロマチンを形成しているため、DNA修復因子が損傷したDNA領域に集積するためにはこうしたクロマチン構造を大きく変化させることが必要であると考えられます。しかしこうしたダイナミックなクロマチン構造変化がどういったしくみで起きているのかはこれまで分かっていませんでした。平川氏は博士課程学生としてこの問題にとりくみ、自ら構築したライブイメージング技術を活用することで、クロマチンリモデリング因子のひとつであるRAD54がDNA損傷応答におけるクロマチン構造制御に必要であることを見いだしました。RAD54はDNAの損傷領域に特異的に集積するため、細胞核内でRAD54フォーサイと呼ばれるドット上の構造体を形成します。平川氏はこの特徴をDNA損傷応答のマーカーとして利用し、植物体内でのDNA修復応答を組織、細胞ごとに観察することに成功しました。現在平川氏はRAD54のDNA損傷領域での動態を制御するエピジェネティックなしくみの解明を精力的に進めています。また今後はDNA損傷応答における遺伝子発現制御機構の解明や、植物の発生とDNA損傷応答能の関係についての研究を進めることを計画しており、これからもさらなる活躍が期待されます。

【特別賞】
 本賞では、植物学や本学会の発展に、技術・教育・その他の各分野において貢献した方を顕彰します。今回はすべての分野において、会員推薦と自薦を合わせ合計4名が選考対象となりました。いずれの候補者もその貢献が高く評価され、技術分野では佐藤 良勝氏(名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所)、教育分野では佐藤 直樹氏(東京大学大学院)及び松浦 克美氏(首都大学東京・名誉教授)(五十音順),その他分野では三浦しをん氏(小説家)の4名を受賞者として選出いたしました。

技術:名古屋大学ライブイメージングセンター(代表者:佐藤 良勝 名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所)
「植物イメージング研究への貢献」
 名古屋大学ライブイメージングセンターは、2007年に発足して以降、主に植物科学分野において、先端的なイメージング技術の開発および普及を進めてきました。植物科学最先端研究拠点ネットワークや、先端バイオイメージング支援プラットフォーム、そして複数の植物系新学術領域研究などの拠点として、延べ200名を超える、多くの研究者のイメージング研究に貢献してきました。現在のセンターチーフである佐藤良勝名古屋大学特任准教授、前任の浜村有希ハンブルク大学研究員を中心とした、利用者に対する垣根の低い運営により、国内外に対して、イメージング技術の普及が推し進められました。運営母体を名古屋大学トランスフォーマティブ生命分子研究所に移動した2013年以降では、ハイインパクトジャーナルの論文を多く含む、56報の原著論文に貢献しました。イメージング関連技術の開発の幅も大きく広がり、マイクロ流体デバイスや新規蛍光分子の開発も含め、異分野融合研究の推進や普及にも貢献してきました。また、日本の植物イメージング分野の国際的ビジビリティーの向上に大きく貢献し、欧州分子生物学機構(EMBO)が主催しますEMBO Practical Courseの開催という、実験系では日本初となる成果も達成しました。今後も、植物イメージング研究への益々の貢献が期待されます。

教育:佐藤 直樹(東京大学大学院 総合文化研究科)
「植物科学の知識の社会的普及・教育への貢献」
 佐藤直樹氏は、脂質の生化学やゲノム科学の分野の研究の傍ら、教科書や生命科学に関する啓蒙書の執筆、そして生命科学関連書籍の翻訳に携わってきました。専門領域に関連する書籍を執筆・翻訳する研究者は少なくありませんが、佐藤直樹氏の貢献にはほかの研究者には見られない特徴があります。まず挙げるべきは、翻訳対象がフランス語やドイツ語の書籍である点でしょう。グローバル化の名のもとに、英語以外の言語が軽んじられる傾向が進む中で、生物学の基本概念が明らかとなってきた過程をフランス語やドイツ語の原典に当たって調べる姿勢は佐藤直樹氏ならではのものであり、生物学史の分野にも大きく貢献するものであると考えます。歴史的な経緯を丹念に追いかけることによってオルガネラの細胞内共生説の成り立ちを論じた『細胞内共生説の謎』などは、そのような努力が魅力的な啓蒙書に結実した例として考えることができます。また、学生向けの教科書も含めて、佐藤直樹氏の著作には、生物学を論理で解き明かそうとする姿勢が常に感じられます。生物学の知識の普及を図るにあたっての佐藤直樹氏の明確なスタンスとメッセージは、その著作を生物学の専門ではない読者への解説としてふさわしいものにしています。以上のような佐藤直樹氏の生物学の啓蒙活動は、日本植物学会賞特別賞(教育)にふさわしいものであると考えます。

教育:松浦 克美(首都大学東京・名誉教授)
「高等学校生物教育の改善のための学習指導要領の改訂協力や教員研修講座の実施等の活動」
 松浦克美氏は、東京都立大学において光合成細菌のエネルギー変換の研究に長年携わってきましたが、2003年に付属高等学校の校長を兼任して中央教育審議会の高等学校理科専門部会の委員などを務めるようになったのをきっかけに、初等中等教育の分野にも積極的にかかわるようになりました。その活動の中でも特筆すべきは、高校現場の生物教員向けの講座を十数年にわたって継続的に開講し続けてきたことでしょう。教員免許更新講習が中学や高等学校の教員に義務付けられて以降、大学の研究者であってもそのような教員向けの講習を担当する機会は増えましたが、松浦克美氏の活動はそのような範囲にとどまるものではなく、夏休みの集中講座や週1回の夜間講座などを自ら企画しています。17年間継続した集中講座では主に初等中等教育に関連する最新の生物学の発展を伝え、総計300回近くを開催した夜間講座では授業方法の研究を中心に据え、どちらの活動も高等学校の教員の意識改革に大きな影響を与えました。このほか、国際生物学オリンピックが2009年につくばで開かれた際には、問題作成・実施・評価などに大きく貢献しています。以上のような松浦克美氏の生物学分野における初等中等教育に対する貢献は、日本植物学会賞特別賞(教育)にふさわしいものであると考えます。

 その他:三浦しをん(小説家)
「小説作品における植物研究活動の正確な描写と、それを介した一般社会への植物科学の啓発」
 三浦しをん氏はこれまで、国語辞典編集者を主人公とした作品『舟を編む』(2011年)、どさくさのうちに林業に取り込まれた若者を主人公とした『神去なあなあ日常』(2009年)をはじめとして、世にあまり知られていない仕事に一心に取り組む人物を主人公とした、魅力あふれる小説を数多く発表されてこられました。それら作品群はそれ自身、多くの読者を獲得し、各種賞を受賞されたばかりでなく、いくつも映画化され、それらもまた各種の賞を受賞しています。これらの作品のおかげで、いくつもの知られざる、そして大事な営みが、世間に広く周知されるようになってきました。今回、三浦氏は小説家としての経歴上、初めて理系の職業をテーマに選び、植物科学の研究に従事する女性の大学院生をヒロインとした作品『愛なき世界』を発表されました。この作品を通じて三浦氏は、基礎科学としての植物科学に取り組む若い人たちの、生き生きとした群像を世に紹介してくださいました。シロイヌナズナを研究する女性大学院生がヒロインという小説は、世界でも初です。作品を読みながら大学受験勉強に励み、植物学を目指すことを勇気づけられた、という女子学生たちの声を、複数聞いています。親戚にシロイヌナズナの研究を説明しようとしたところ、『愛なき世界』で読んだことがある、と言われた、という声も聞きました。シロイヌナズナの共発現データベースATTED-IIに言及した小説は、世界広しといえども初めてでしょう。広く植物科学とそれに取り組む若い人たちの魅力を世に紹介してくださった功績は、きわめて大であり、特別賞に値するものです。

2019年度日本植物学会賞選考委員会
西田治文(委員長)
伊藤元己、今泉(安楽)温子、川合真紀、澤 進一郎、杉本慶子、園池 公毅、塚谷裕一、寺島一郎、東山哲也


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