平瀬作五郎氏1918年論文の現代語訳

ホーム > Journal of Plant Research > 平瀬作五郎氏1918年論文の現代語訳

平瀬作五郎「公孫樹ノ授精及ビ胚發育研究補修」の現代語訳
          富永英之【元福井県立藤島高等学校教諭】

                               (e-mail:htom0911@mx6.fctv.ne.jp

解題

原著PDFダウンロード(こちら)  

 種子植物でありながら生殖細胞として精子を形成するイチョウは、精子から精細胞への進化の過程を考える上で極めて興味深い植物である。平瀬作五郎は19世紀末、世界で初めてイチョウの精子を発見し、論文「いてふノ精虫ニ就テ (1896年)」および「イチョウの受精と胚発育の研究第二報 (1898年)」で、精子形成過程を詳細に報告した。さらに、本論文 (1918年) では、イチョウの卵細胞形成および精子による受精過程について、鋭い観察眼による巧みなスケッチに加え、受精時期に銀杏内を満たす"受精液"の存在とその分泌源に関して意欲的な実験により考察している。平瀬は約100年前、現在のようなGFP等の特異的可視化技術が無い時代に、精子が花粉管を抜け出てから"受精液"の中を泳ぎ卵細胞に到達するまでの過程で、卵細胞への精子誘引物質の存在に関する着想を得ていたのではないかと思わせる。イチョウやソテツの精子と"受精液"に関連する報告が限られ、"受精液"の分泌源についても諸説ある現状において、本論文はイチョウの受精の仕組みを理解するための重要な示唆を与えてくれる。植物学上の生殖細胞の進化に関わるミッシング・リンクの謎に興味を持つ研究者への一助として、旧字体で書かれた本論文の現代語訳を行った。以下の訳中の ( ) は平瀬氏論文原文中のもの、[ ] および※は訳者による補足と注釈である。原文には授精が用いられているが、論文題目を除いてすべて受精と記した。なお、現代語訳に際し、平瀬作五郎氏の御身内である嶋田倭文子さんに協力していただいた。御厚意に謝意を表する。
 

 


 

植物学雑誌32巻(第376号):83-89.  大正7(1918)年4月

○公孫樹※1 の授精及び胚発育研究補修 平瀬作五郎

H.※2 Hirase:-Further Studies on the Fertilization and Embryogeny in Ginkgo biloba.

【受精液※3 および収容液室※4 について】

 イチョウの受精期に際しては、以前発表したように [平瀬, 1895年]、銀杏※5 の胚珠心の頂部組織内に胚乳体の頂を底とする一つの腔(こう)洞(どう)※6 が形成される。この腔洞内は常に気体で満たされているため、胚珠心内に懸垂する花粉管の主要な部分は気体によって取り囲まれている。すなわち、花粉管内で成育した精虫※7 は、受精時には気体と交代する水液※8 があって、[これが] 花粉管を浸し、かつ腔洞内に充満するに至って初めて遊泳できるようになる (第16図参照)。そして、[その造卵器室内が] 水液で満たされている状態を観察したので報告した。ただし、[その水液の] 湧出源については、当時は実験による証拠が得られなかったので「多分造卵器より分泌されたものであろう」と思うに留まった [平瀬, 1896年]。  池野成一郎氏はソテツの研究で、受精の際に胚珠心の腔洞内を満たす水※9 があることを報告した。このことはソテツの精虫の発見とともにイチョウと共通する一つの重要な点である。かつ、その水の湧出源についても「おそらくは雌性器※10 が分泌したもの・・・」と述べた [池野, 1896年]。 藤井健次郎氏はイチョウの湧液※11 に対し疑問を提出し、「精虫が充分に発育して、まさに [花粉管内から造卵器室に] 抜け出ようとする時期には、この湧液が存在しないことが多い。度々湧液を認めるのは、我々が精虫を検出しようとして Endosperm [胚乳] を切開する際、[誤って] 胚乳中の水分が押し出されたものではないだろうか」と述べた。かつ、「理論上にても、初めから誘出液※12 が [造卵器室内に] 滞っているとするよりも、[花粉管が破れた際に] 花粉管内の液が精虫とともに [造卵器室内に] 落ち、その液中に造卵器内から Diffusion [拡散] により誘入液※13 が次第に [造卵器室内に] 浸み出すことにより、精虫が造卵器内に進入するとした方が妥当ではないだろうか」と述べた [藤井, 1899年]。  この藤井氏説に対して池野氏は、ソテツでの実験により、この水液は花粉管由来ではない理由を例を挙げて証明し、なお「[この水液は胚乳を] 切開する際、誤って胚乳 [内部] から押し出されたものでもないが、受精には関係する」と主張した [池野, 1899年]。 ここで藤井氏が再び池野氏の主張に答えた内容では、藤井氏もまた「受精には液体※14 の存在が必要である」ことを認めた。しかしながら、「その液の由来に関しては未解決の問題であるので、私もまたさらにこの件について確かめようと思う」と言明した。かつ、藤井氏が組織的構造を説明し、「注意しておく」ということによれば、「イチョウの胚乳体の頂部にある突起※15 の周囲から水液が分泌され、それにより [造卵器室の] 凹部の内面を潤し、あるいは少量の水液が凹所の底部、すなわち造卵器の上面に溜まる時期があるのではないかと疑う。そして、もしソテツならば、凹所の底部もしくはその周囲の土手※16 から分泌されるのではないか。とにかく、この土手から水液の著しい分泌があるとすれば、その [水液の] 由来は決して造卵器からのものではないはずである」と [藤井, 1899年]。すなわち、藤井氏はあえて花粉管液説には固執していないが、氏の主張はむしろ理論上にあり、実験による確証は得られていないことを知るべきである。  藤井氏の説が前述した内容である時、さらに三宅驥(き)一(いち)氏はソテツでの受精液について、その実験を詳しく説明した [三宅, 1905年]。三宅氏の説は自然のイチョウに関連するところがあるので、ここにその概要を書き記す。三宅氏は雌器窩(しきか)※17 (藤井氏による凹所) に溜まった液が現存するのを目撃した。これは、池野氏の説に一致するといえども、その [液の] 由来については所見が異なっている。すなわち、三宅氏は、「私は様々な観察の結果、ソテツについてはやはりウエッバー氏がザミアについて述べているように、受精液の大部分は花粉管に由来することを主張したいと思う」と述べた。この主張の根拠を推察すると2つある。すなわち、三宅氏が試験紙※18 にて検査した結果、花粉管内の液も雌器窩に溜まる液も同様に著しい酸性反応を呈した。しかし、 [造卵器内の] 卵細胞内の液は「アルカリ性」反応を呈するのを見たというのが、1つ目の根拠であるようだ。また、雌器窩内に溜まる液がある時、その上方の胚珠心内※19 に数多くの「懸垂している花粉管の全部または大部分が破裂していること」を見たことも2つ目の根拠である。これについて三宅氏は、「池野氏が度々花粉管が全部 [破裂しないで] 存在する時にも雌器窩内に受精液が存在することを見たとの記載には同意できない」と断じて池野氏の証明の根拠を全く否定した。そうして、三宅氏は受精液の「大部分が花粉管由来だと推定して大きな誤りはない」と結論付けた。[受精液の] 全部と言わなかったのは、藤井氏の前説と同じ意見であるからであろう。しかも三宅氏は藤井氏の後説、いわゆる「凹所または土手」湧 [出] 源説に対しては言及していない。  米国特産のソテツ類数種における受精過程は、ウエッバー氏 [1901年] およびチャンバレーン氏 [1910年, 1912年, 1916年] 両氏により明らかにされた。[彼らの] 説によれば、胚珠心内の腔洞が水液で満たされている状態から花粉管の伸長状態および精虫形成に至るまでの大部分 [の内容] は、すでにソテツ [池野, 1898年] とともにイチョウ [平瀬, 1895年; 池野, 1898年] で知られたことに酷似する。しかも、受精液に関する両氏の所見は、三宅氏のソテツ [1905年] での説と異なっていない。  イチョウにおいて受精液の湧 [出] 源を私が「多分造卵器より分泌されるものであろう」[平瀬, 1896年] としたのは、藤井氏のいわゆる「誘入液」[藤井, 1899年] だとしても、また液量からみても全く妥当ではないためである。湧 [出] 源が花粉管以外に存在するという確信は相変わらず当時と変わっておらず、前述したソテツ類における諸説と比較すれば、一致しない所があるので、それを結論とすべきではないからである。 イチョウの受精時期において観察した銀杏の総数はおよそ数千を下らないだろう。その際、胚珠心の腔洞内に液汁※20 が溜まった銀杏があることを目撃した数は少なくない。特にこのことを記録に計上したのはわずかにその部分だけであるが、[造卵器室内に液汁が溜まることについては] それでもやはり容易に観察することができる。すなわち、この記録によれば、年度を異にし、かつ毎年度数回にわたって観察した銀杏の合計は626個に達した。この総計中には受精が終了した銀杏を約25 %含んでいる。すなわち、受精最盛期にあるものとする。この時期において、受精液が多少とも胚珠心内に溜まっていた銀杏は総数の4 %弱に及び、未受精の銀杏に対して5 %強に及んだ。元来、[これらが] 毎回同じような比で検出できるとは限らないので、ほとんど [受精液が] 見られない場合や、偶然に [受精液を] 目撃する場合もあった。また、受精液がある銀杏中では少量しか溜まっていないものが最も多数を占めていた。確かに受精液の働きはわずかな時間留まっていれば事足りるはずであることを思えば、受精液を溜めている銀杏を検出する比が多くないのは当然であると言える。まして、藤井氏のいわゆる「誘出液」がまさに [造卵器室内に] 充満する時に遭遇する機会が最も少ないはずであることは必然的な道理であると信ずる。この確信のもと、明治39年 [1906年] 以来、ほとんど毎年実験を重ねても、まだ [受精液が造卵器室内に充満するのを目撃する] 最も稀な機会に出会えないが、かつて報告した最初の唯一の実験 [平瀬, 1896年] を無視することはできない。その上、藤井氏の説 [1899年] のように、精虫が充分に発育した時期において [受精液が] 存在しないことが多いのは、単にイチョウのみならずソテツ類においても、それぞれの研究者が皆等しく報告したところである [池野, 1899年; 三宅, 1905年; チャンバレーン, 1910年; 池野, 1898年]。もしこのような稀ではない事実を一例とできるならば、花粉管液説よりもむしろ他の部分からの浸潤液※21 が [造卵器室内に] 到達するとする説を支持するのに有効のようだ。なぜならば、その機会を待つ必要がないにもかかわらず、充分に成熟した精虫が悠々と花粉管内に閉じこもっていることに出会うことが稀ではないのは、かえって疑問を感じざるを得ない。これに反して、たとえ精虫が活動できるまで成育しても、「誘出液」が [造卵器室内に] 到達しない間は、みだりに自ら [花粉管から] 抜け出すことがないとすれば、すこぶる無理のない適例となる価値があるからだ。  前述のように、多くは胚珠心内に溜まる液量が少ないだけではなく、常に花粉管内が空である事実がある。この事例は三宅氏の説 [三宅, 1905年] を支持する1つの証拠のようだ。しかしながら、誘出液の役目は比較的わずかな時間で完了するはずだが、受精液の吸収はやや緩やかであるので、この事例もまた、ただ花粉管液説においてのみ適切であるとは認めてはならない。もしその液汁が常に雌器窩を潤す程度に留まっていれば、1個の花粉管 [内] の液量で足りるはずである。しかし、度々目撃した胚珠心 [内] の腔洞に充満するような液量にはあたらないだろうと信ずる。もっとも、1個の銀杏内に収容する花粉管は必ずしも1個とは限らず、20個の花粉管を収容し、その中の13個 [の花粉管内] ではすべての精虫がそろって発育していた「プレパラート」を得た。このようなことは元々珍しいことで、3~4個の花粉管を収容するのは度々見ることがある。しかし、このような材料は大きな雌雄両株の枝が交錯した公孫樹(京都市寺町通り本禅寺境内にあり、明治42年 [1909年] であっただろうか、その雄株の枝はことごとく切り払われてしまった)から採取した銀杏に限って存在するのみである。その後、明治44年 [1911年] 以来、実験材料を採取した公孫樹(洛西花園村の孤立した若木で目通り一抱えに足りない)においては、銀杏1個内に2個の花粉管を収容するものすらはなはだ少数である。この銀杏はやや小粒(中~大粒でも容積14 cm3 に過ぎず、10個の平均重量9.1 g)であるとはいえ、その胚珠心内の腔洞はゆうに数個の花粉管を収容しても [まだ] 充分余地があるようである。比較的大粒 (江州長岡村の神社境内にそびえる壮大な老樹で、目通り周囲6 m33 cm、銀杏の大粒は容積15.2 cm3 あり、10個の平均重量13.1 g) の銀杏でも1個の花粉管を収容するものが最多数を占めるため、その胚珠心内の腔洞の余地が広いことは前者の比ではない。このような腔洞の容積は常に1個の花粉管 [内] の液量により満たされるとするには、余りにも大きすぎると言わざるを得ない。[第16図]。もし、仮にほとんど顕微鏡 [で見るような小さな] 容積に近い1個の花粉管 [内] の液量により雌器窩の全面 (円径約1.5 mm強) を潤すとすれば、かろうじて [雌器窩内に] 薄い液層を作るに過ぎない。果たしてそうであれば、活発に遊泳できる精虫の形成はほとんど意味を失うことになる。これにより、イチョウで見られる誘出液の由来が、ソテツ類において観察されたように花粉管であるとすることに一致するとは到底、推測することはできない。  受精液の関係上、ここに付け加える一件がある。すなわち、数種の米国産ソテツ類を観察したチャンバレーン氏の受精の説である。氏は、「受精時の造卵器室は湿っているが何らの droplets of fluid [液滴] は見られない・・・。花粉管 [内] から [造卵器室内に] 放出された液体は浸透圧が高いので、結果として膨張した頸細胞からいくらかの液 [体] を引き出させる。そして、膨張が減少したこれらの頸細胞は [隙間(すきま)ができ] 卵細胞内の上部の部分を [頸細胞外の造卵器室内に] 抜け出させる。このようにして、精子を卵細胞内に引き入れる vacuole [空胞※22 ] を [卵細胞質上部に] 形成する」と述べた [チャンバレーン, 1910年, 1912年, 1916年]。  イチョウにおける造卵器の頸細胞が2個の細胞から成り、受精の時期が近づくと特に膨圧が加わり、著しく隆起することはチャンバレーン氏の前説に一致する。この時期の銀杏では、卵細胞質の一部分が頸細胞を押しのけて [造卵器室内に] 放出されたまま固定され、このために、卵細胞質の頂部にやや染色の薄い部分 [第11図]、または腔胞※23 状を呈することがある。卵細胞の核は頸細胞の下部近くに上昇し、球形から変化して伸長することがあたかも某種の遊走子の状態に似ており、その尖鋭部は常に頸細胞側に位置する。これは確かに完全に人為的な損傷品である。あるいは、その [核の] 尖端部が破壊して細胞質との境界がわからなくなったもののように損傷が甚だしいものがあるのは明らかな証拠である。同時に処理した材料より作製した16枚の「プレパラート」のうち、12枚中20個の卵細胞について、このような人為的な損傷品を検出した (第3表第2欄参照)。これらは調剤日よりかなりの月日が経過した固定液を使用した材料に限って見られた。しかし、同じ固定液を使用した材料においても、受精時期が少し前後した卵 [細胞] では卵細胞質が [造卵器室内に] 放出したものは全くなかった。これにより、[卵細胞質が放出されたことは] 膨圧により隆起した頸細胞がきつく閉じた門のように締め付ける力によって [も]※24 卵細胞質の [造卵器室内への] 流出にほとんど抵抗し難い状態に到ったかと思わせる。ただし、固定液の吸水力が頸細胞の膨圧を低下させたためかどうかはまだ証明すべき実験を経ていない。前述のような損傷品は、チャンバレーン氏が観察したソテツ類での事実に似ているが異なるものであることは勿論であると信ずる。しかもイチョウにおいては、[卵] 細胞質の [造卵器室内への] 放出に起因せず、卵細胞頂部に大きい腔胞が出現する。  これはチャンバレーン氏の説とは全く原因が異なるものであるから、ここに受精液とともにその実験結果を挙げて、[私の] 考えを述べる根拠とする。

【実験材料および処方】

 実験材料に用いた銀杏は主として洛中および洛西産2株の公孫樹から採取した。その受精時期は、年毎に多少の遅速があり一定しない (明治39年 [1906年] より大正6年 [1917年] までの12年間において)。概ね東京よりも少し早く成熟するようだ (第1表参照)。すなわち、[成熟が] 早い時は9月3日前後で(大正2年度)[1913年]、遅い時は9月10日前後である(大正6年度)[1917年]。そして外観から銀杏が多少黄色を帯びてくるのは受精時期の前兆として誤りではないが、必ずしもそうだとは言えない。すなわち、受精時期に入ったのを知るには、時々 [銀杏の] 観察を怠らないこと以外に方法はないようだ。実験に臨んで、毎回採取した新鮮な銀杏を用いることはもとより確実である。そうして、折からの風雨の襲来に妨げられたため、[受精の観察] 時期を逃したこともある。この時、試しに [採取しておいた] 貯蔵品 [の銀杏] を使用した。すなわち、採取してきた銀杏をすぐに蓋のない木箱中に敷いた湿砂 (深さ約9 cm) 上に梗痕部※25 を [下にして] 浅く埋めておけば、約10日間内外は水やりせずに安全に保存できる。これを閉じた採集缶内に貯蔵したものと比べれば、保存上はるかに優れているのがわかる。さらに、多肉皮※26 に傷がある銀杏は3日間以内にケカビ類の侵食を受けたことがあるので、決してそのままにしておいてはいけない。また、湿砂についても水分がやや多い時は、度々梗痕部から腐食を招くことがある。銀杏の果梗※27 は採取後、数時間を経ないうちに脱落するものが多く、甚だしい時はその数が75 %に達したことがある。その [脱落の] 比は受精時期が迫っている場合にさらに大きくなるようだが、果梗の [脱落の] 有無は受精に関する兆候を積極的に示すものではないようである。ただし、貯蔵には菌類の侵食防御上、有梗※28 の銀杏が良いと思われる。  銀杏の梗核皮※29 には2稜のものが最も普通であり、度々3稜のものが混在する。もし果皮※30 の頂部を軽く取り除けば、ここに存在する浅い凹部にほぼ白い稜形が残るはずである。その長い対角線に相当する方向を見て稜の位置を察知できる。今、種皮を横断して胚珠心を安全に裸出しようとすれば、まず肉皮※31 上から核皮※32 の1つの稜を探り、ここに刀刃を置いてわずかに切断するにとどめ、次に肉皮とともに取り除くのが良い。もし、切断する際の力具合に注意すれば、胚珠心にはほとんど刃傷を与えない程度に裸出させることは難しくない。(第15図)。  裸出した胚珠心の外観により、ほぼ鑑別することができる。すなわち、受精前品であれば、常に胚珠心は弾力があり頂部は突き出て高くなり、かつその浅緑色が一様に淡白である。しかし、受精後品であれば、すでに胚珠心は弾力を失い、胚乳頭に圧着され、かつ少し黄褐色を帯びてくる。この特徴によって鑑別すればほとんど誤りはないが、さらに [受精前後品の] 確認を要する場合には、花粉管の存否を確認し、あるいは実験の前もしくは後に頸細胞を検鏡することが定法である。頸細胞は胚乳体の頂部を薄く削ぎ取り、すぐに検鏡することができる。2個の頸細胞が反射して輝くときは受精前品の状態である。あるいは [頸細胞が] 光沢がなく、やや湿気を帯び、その細胞核が認められる時は受精期または受精準備期にある。もし頸細胞が破壊されて褐色を呈していれば、受精後やや時間が経過したものである。このほかに、各節に関する処理方法は該当箇所で記述しよう。

【胚珠心の腔洞内を満たす液】

 胚珠心の外観において、その全面が一様に淡い緑色を呈するのは、腔洞内に気体が存在する時に限る。もしその頂部 [内] に液体が満たされていれば、[胚珠心は] 水飴色を呈するはずで、これは [腔洞内の] 気体を追い出し、液汁が交代した目印となる。わが子3名が初めて処理したことがあるが、これらの新参助手でも要点を逸しないほど、この液体についての目印は明瞭である。ただし、液体の存在は受精時のしばらくの間のみで見られるものである。またその液量が多い時は、胚珠心の切片を [スライドガラスに] 移す時、胚乳体に滴るはずである。だだし、そのような多量な液体は稀にしか見られず、多くの場合、胚珠心の頂部内を潤す程度に留まっている。両者において、花粉管内部は常に空である。すなわち、受精後まもない銀杏である (後節参照)。この事実は三宅氏のソテツにおける観察と一致する [三宅, 1905年]。[造卵器室内に溜まる] 液体が見られる銀杏の比は計上した銀杏総数の4 %弱を示した (これは数年度にわたり、毎年日時が異なる数多くの実験回数を重ね、かつ受精初期や終期に相当する場合も通算したもので、すなわち、観察した全ての銀杏合計数626個に対するものである)。この液体を検出する場合は、必ず受精が終了した銀杏が多少混在する時期に限る。まだ受精時期に至らない場合、例えば大正6年 [1917年] 9月5日以前 (第1表) においては、数千個の銀杏中でも決して液体が溜まった銀杏を検出したことはない。そして、その液体は試験紙に対し、明らかな酸性反応を示す。これはまた三宅氏におけるソテツでの実験に一致する [三宅, 1905年]。  切断した銀杏の種皮を裏面から見れば、珠孔部には度々肉眼で見える小孔を検出することがある。特に計上した銀杏53個中において、小孔があったものは15個を数えた。その頃の胚珠心頂部は暗褐色を呈する突起※33 となり、その粗い組織は気体の流通に都合がよい。すなわち、胚珠心内の腔洞内へ急に湧出してくる液体があれば、これにとって代わるはずの気体は、孔道※34 の通路を経て容易に外界に逃れることができる。かつ、液体が次第に吸収し尽くされるに当たっては、胚珠心頂部のすでに弾力を失った薄紙のような組織を胚乳の頭部に圧着する気流の出口としても役に立つ装置※35 である。常時、花粉管の成育中においては、この孔道により腔洞内の気体は外界と流通することができ、生理的に必須なガス交換に不自由しない。これらのことより、この孔道を見ることは少ないが、残存する偶然的な痕跡としては看過すべきでない。まだ精査は行っていないが、残った多数の銀杏中にも肉眼では見えないかすかな孔である気門があるのではないかと思う。もしそうであれば、この気道※36 は急に分泌してくる液汁が気体に代わって腔洞内に充満する事実に対して道理のある一つの事例とするのに充分であろう。

【胚珠心内に溜液※37 が見られた銀杏の卵細胞の内容】

 胚珠心内に溜まっている液汁を誘出液とするならば、その分泌と卵球※38 の成育には関連するところがあるはずである。これについて、年度を異にし、かつ数回にわたり溜液が存在する時の卵細胞の内容調査を計画した。材料は採取するに従い、前例のように [平瀬, 1895年]、雌器窩を囲んで約3~4 mm 立方に切り取り、すぐにフレミング氏強固定液中に入れた。これを水洗し、以後、「無水アルコール」、「キシロール」等の手順を経て「パラフィン」に封入し、「ミクロトーム」により1つの卵 [細胞] の約35片内外の「シリーズ※39」を作った。そして、「エオシン」、「フクシン」、「サフラニン」あるいは「ヘマトキシリン」等を用いて染色し、そして「バルサム」封入を施し、銀杏20個、39個の卵細胞の「プレパラート」を観察した (第2表第4、5欄)。今その結果を記述するにあたり、雌器の中心細胞※40 期以降の一般に知られている内容を合わせて説明するのが都合がよいと信ずる。  
《成熟した中心細胞》
 第1図。中心細胞の細胞質は、すでに知られているように [平瀬, 1895年; シュトラスブルガー, 1872年]、きつく締まった門のような2個の頸細胞に守られており、その核は頸細胞の下部の狭間、すなわち腹溝部に偏り、その形は常に上部がすぼまっている。この階級に達した [中心細胞の] 細胞質は充実し、さらにその底部または一方の片隅に偏って必ず大小不同の数多くの腔胞の一群が残存している。これはまだ受精期に入っていない階級であり、[造卵器室内の] 溜液 [が認められた] 材料は、39個の中心細胞中では皆無である。
 
《腹溝細胞の形成》
第2および第3図。中心細胞の核は前階級と同じ位置で分裂を行う。第3図はかつて報告したように [平瀬, 1895年]、分裂末期であるとする。池野氏もまたその説を報告した [池野, 1901年]。そうしてこの階級においても細胞質中の腔胞群は片側に偏在している。この階級品も溜液 [は] 材料である39個の中心細胞中には検出されない。
 
《受精期に臨む卵球》
 第4、5、6、7、8および9図。[卵細胞と] 姉妹関係にある腹溝細胞が [卵細胞の] 細胞質から離脱した後、[卵細胞の] 核はすでに知られているように [平瀬, 1895年; 池野, 1901年; シュトラスブルガー, 1872年, 1879年, 1892年]、卵球の中央に向かってゆっくり下降しつつ大きく膨れる。今、これを受精準備期における初級※41 と称する。第4図。次いで、腹溝細胞が離脱した痕跡が卵細胞質頂部の鮮明な下部あたりに見られ、新たに小さい腔胞が2、3生じる。[それらの] 中央にある腔胞は比較的大きく、第5図、これを [受精] 準備期の2級とする。さらに卵 [細胞] 頂部の腔胞は中央に最大なものが1個とその側部に数個の大小不同な腔胞を生じる。卵核は中央部の大きい腔胞の下縁に沿って弦月※42 状を形成する。[中央の大きい] 腔胞内にはわずかのタンパク質が固定されているか、あるいは全く空胞のものがある。第6、8および7図。これを [受精準備期の] 3級とする。さらに [受精準備期の] 4級として挙げるべきものがある。すなわち、第9図がこれである。前の3級での腔胞が益々膨らみ、終いに [他の腔胞も] 皆癒合して1つの大きな腔胞を形成するが、これが潰れることにより、卵細胞質の頂部があたかも一刀のもとに切り払われたような様相を呈する。このため、卵細胞質の上部に生じた頸細胞の下の広い間隙を精虫の収容 [液] 室と認めることにする。以上は、あらかじめ胚珠心頂部を切除した裸胚乳体上に分泌液※43 が見られた材料により(その説明は後節にある)調製した「プレパラート」において検出した卵 [細胞] の内容である。すなわち、精虫がまだ頸細胞を通過するはずがないため、受精の準備期にある階級と認めるべきである。そうして、その分級※44 は腔胞が次第に増大していくと推定して順位を付けた。これらの階級 [第4図~第9図] の卵細胞内には、底部または側偏部に腔胞群を検出しないことは注意すべき事であると信じる。そして、胚珠心内に溜液が見られた20個の銀杏中、1個の卵は1級品 [初級品]、また1個の卵は2級 [品] であり、ともに同一雌器窩 [内] に対座していた。また2個では3級品に相当する2個の卵を検出した。このほか、なお1個の銀杏中に対座する1個の卵では、核の頂部がつぶれたので詳しいことはわからないが、同じ階級品 [の卵] を固定する際、核と胞が結合してしまった疑いがあり、これを加えれば3個の卵となる。(第2表参照)。
 
《受精期》
 第10、11、12および13図。今、初、中、末※45 の3期に分けて説明に都合がよいようにする。すなわち、精虫がすでに頸細胞間を通過した時から [精虫の] 雄核が [卵細胞の] 雌核に対向するまでを初期とする。
 この時期においては、卵細胞質上部の [精虫の] 収容 [液] 室がなお現存するものもあり、この収容 [液] 室には受精に遅れた精虫が留まることがある。第10図。あるいは、卵細胞の頂部には稀に不規則な腔胞状の部分があり、その卵核に接近する雄核が見られる。第11図。あるいは、輪郭が鮮明な1つの小さい腔胞がやや側方に偏在するものもある。溜液 [が見られた] 標品20個中の3個5卵はすべて階級品であった。その中の1個の卵は前述した [受精] 準備期3級の卵に相当するものである。次に、雄核と雌核が接合したものを中期とする。第12図。この階程※46 のものは、池野氏が [イチョウで] すでに発表したものに一致する [池野, 1901年]。その [卵] 細胞質中の頂部には側方にただ1個の小さい腔胞が偏在するのみで、この他、[卵] 核の下側方に1、2個の小さい腔胞があることを2個の卵において検出した。溜液が見られた標品20個中の2個4卵は、まさにこの階級に相当する。受精の末期においては、核はすこぶる膨大し、そのうえ群を抜いて大きい顆粒数個を含むことがある。そして、時々受精が出来なかった精虫が1個または数個、卵細胞質外に留まるのが観察される。また、[卵] 細胞質頂部には輪郭が鮮明な1個の小さい腔胞がやや側方に偏在している。この他に、明らかな腔胞群を有するものは稀である。第13図は末期として数に計上したが、雄核の痕跡がなお現存することと、[精虫の] 収容 [液] 室の存在とを勘案すれば、両期※47 の中間の階程であるとする。その核は池野氏の第10図 a、b に該当するはずである [池野, 1901年]。この標品は第10図に描写した卵 [細胞] と同一の雌器窩中に対座していたものである。溜液が見られた標品20個中、実に13個22卵の多数は、すべてこの末期の階級である。ただし、この末期と初期の卵細胞質外に精虫が留まっていた卵細胞と (受精に遅れたものであるかの疑いもあるので)、もしくは [受精] 準備期の最終期 [受精準備期4級] になった後、受精しなかった卵細胞との鑑別は容易ではない。すなわち、これらに属する標品がここで計上した卵数中に混在しているかどうか確かめ難い。
 
《前胚期》
 第14図。受精した胚 [の] 核は遊離核分裂※48 を続行すること8回におよび、約256個の娘核が卵球を満たした。そうして、それらの娘核間に一斉に細胞膜の隔壁を形成する [平瀬, 1895年]。これすなわち前胚期である。第14図はその第2回目の分裂期にあるもので、2個の核分裂がまさに [分裂] 中期に進んだ標本より描写した。卵球の片方の底側部には明らかな小さい腔胞群があり、頂部の [精虫の] 収容 [液] 室はとても狭く、わずかの差で受精できなかった精虫3個を含んでいるに過ぎない。溜液が見られた標品中には、2個2卵でこのような前胚期初程にあるものを検出した。
 今まで記述したように、胚珠心内に溜液が見られた材料中、卵 [細胞] の内容は受精準備期の初程※49 より前胚期の初程までにわたるといえども、いまだ受精液を必要としない時期、すなわち腹溝細胞形成以前のもの、または前胚期の中程以上に進んだものには [溜液が] 全く見られない。なお、[受精] 準備期3級以上に進んだ標品は極めて少数に過ぎず、また、精虫が侵入し遅れて頸細胞の間に介在しているものを1卵検出したが、不幸にして胚乳組織が不鮮明になったため、描写することが出来なかった。これらの少数標品は必ず受精液を必要とする時期に存在するものとする。そしてすでに受精液が不要になる時期、すなわち受精の末期およびそれ以降の時期にあるものは最も数が多かった。これについて、胚珠心内の溜液量が多量の材料は少数に留まり、少量の材料が大多数である事実から思えば、液量と卵 [細胞] の内容には関連するところがあることは明らかでまた疑うべきでない。
 卵細胞の成育および受精状態等は、イチョウ [平瀬, 1895年; 池野, 1901年; シュトラスブルガー, 1872年, 1879年, 1892年] およびソテツ類 [チャンバレーン, 1910年, 1912年, 1916年; 池野, 1898年; ウエッバー, 1901年] においてそれぞれ、研究者がすでに解明した事実に一致するといえども、[受精] 準備期2級以上の [精虫の] 収容 [液] 室については、チャンバレーン氏が数種のソテツ類で説き示したような [チャンバレーン, 1910年, 1912年, 1916年]、卵細胞質の一部分が [造卵器室内に] 放出されたことにより生じた空間ではないので、私は [収容液室が生じる] 原因が、[チャンバレーン氏の考えと] 異なるところがあるとする。これは従来の研究に漏れていたことである。もっとも松柏類については、フワーグソン氏が松属においていわゆる収容胞の形成があることを主張し [フワーグソン, 1901年]、これはイチョウにおける収容 [液] 室形成前の腔胞に該当すべきものである。

【裸胚乳体面上での湧液実験】

《目的および実験方法》
 受精液 [の湧出] 源に関する疑問は、まずその問題の要となる花粉管を胚珠心とともに胚乳体より除去した試験にて解決するしかないと思う。この考えのもとに、まず銀杏の種皮を切除し、さらに [その下にある] 胚珠心を除去し、すべての胚乳体頂部を裸出させる※50 。第15図。この手術を施すにあたり、時々胚乳体に多少の刃傷を加えることは避けられないが、やや深く傷つけたものは常に使用しない。ただし、試しにほとんど切断した胚乳体を [実験に] 加えたことがあるが、これでも問題ない。また、多漿質の肉皮の断面はすぐに吸収紙で [水分を] 払拭し、明らかな酸性の漿液が浸み出て広がることを防いだ。この手術を施した裸胚乳体面は、すこぶる乾いて固くなり易い。ゆえに、施術を終了するたびにすぐに [裸胚乳体を] あらかじめ準備しておいた収容器内に移植する必要がある。もし、胚乳体の淡白緑色の外観が多少、透明な緑色を帯びてくれば乾燥して固くなる兆しなので、実験材料の資格を失ったものとする。約10個内外の銀杏にこの手術を施すには20~30分間の時間を費やした。ゆえに、同一 [収容] 器内に同時に収容したと称する材料でも各銀杏の処理時間には多少の差があるものである。また肉皮の下半分は必ずしも保留する必要はない。これがあると、かえって肉皮の断面がケカビ類の培養基となることがある。ケカビ類による侵食を防ぐためには、むしろ胚乳体全部を種皮より上手にえぐり出した材料を用いるのが確実である。しかし、後者の施術の煩わしさが多いことを嫌うとともに水分が若干減少するのを避けて、常に前者 [の方法] を採用した。
 
《収容器》
 ガラス鉢に白川砂 (花崗岩屑、ただし普通の砂でも良い) を盛り、これに少量の湿気を含ませ、かつその上に乾燥した白川砂の薄層を加えて、[置床する] 銀杏に直接水分が浸み込むのを防いだ。おそらく湿気がやや多い時は [銀杏の] 梗痕部から菌類による侵食が見られるからである。[ガラス] 鉢は直径17 cm、砂の深さ3.5 cm、[空] 気室の深さ5 cmを中形とした。直径20 cm、砂の深さ2.5 cm、[空] 気室の深さ2.5 cmを大形とした。また、直径11.5 cm、砂の深さ2 cm、[空] 気室の深さ3.5 cmを小形と称する。これらの [ガラス鉢の] 覆い蓋は平板ガラスを採用した。この蓋を少し滑らせれば材料の出し入れが便利となり、[空] 気室内の湿度に及ぼす影響をできる限り少なくすることを期待したからである。[空] 気室の湿度が高すぎることを避けたい場合、ガラス蓋の裏に1枚の乾いた新聞紙を貼ることもあった。ただし、このために多少 [裸] 胚乳体が乾燥し固くなってしまうので、常用しなかった。前述した収容器を湿砂収容器大、中、小形と称する。また、収容器中の砂に代わり、浅く井戸水を入れた陶器皿を用いたことがあるが、材料を水中に置床すればケカビ類による侵食を被ることがなく、すこぶる安全であると思える。そして、実験結果は前者と差がなかった。すなわち、これを水浸収容器と称する。この他、湿砂の代わりに10 %砂糖液または井戸水で湿らせた吸収紙を用いた。あるいは、2 %寒天収容器、またはこれに砂糖を混ぜたものなどで試した。これら [の方法] では、常に菌類および細菌類による侵食が見られたので、安全に保てる時間は前者より短いため常用しなかった。もし、厳密な殺菌法を施すことを苦にしなければ、吸収紙または寒天収容器を用いて、その上に横断した裸胚乳体の上半分を置床しても、実験結果はほぼ同様であるため、施術上、多少簡便にはなる。
 
《裸胚乳体において湧液が見られた発端》
 第17図。本実験は大正2年 [1913年] 9月1日、試しに吸収紙を敷いた同一収容器内に配列 [置床] した4個の裸胚乳体のうち、2個では雌器窩の堤輪、(藤井氏のいわゆる「土手」) より少し隔たった外周あたりに液球※51 列を検出したのをきっかけとして行った。そして、同列中に加えた他の2個ではわずかの液球さえなかった。この2個は以前に胚珠心内に溜液が見られたので、特に比較材料として供用したのである。しかしながら、収容器の側壁および覆い蓋ガラスの裏面は凝着した露球で覆われていたのを見たので、この胚乳頭上の液球も、あるいはその露球ではないだろうか。これは最初に思った疑問だったが、その後それらの頸細胞を検鏡して [後者の2個は] 受精後品であるのを知ることで、すぐに疑問は氷解すると同時に [収容器に凝着した露球と] 液球の有無には意味がないと思った。その後、大正6年 [1917年] に至るまで、数回繰り返して実験を重ねたが、全て同じ結果であった。すなわち、この液球列は堤輪外周組織より分泌されることを確認し、ここにその実験概要を述べようと思う。  
《その1、受精期に入っていない銀杏について》
 比較参考の資料に備える目的で特別に考えた試験で、検査総計の銀杏中、1個も溜液が見られた標品または受精終了品を検出しない時期を選んで行った。例えば、大正6年 [1917年] 8月28日から翌月5日に至る9日間であり (第1表参照)、その卵球がまだ腹溝細胞の形成を終える以前の階程にあることは確信するところである。[銀杏の] 裸胚乳頭を中形の湿砂収容器内に置床した試験は4回行った。[置床後] 約40時間内外を経過しても、液球の分泌が見られた [裸胚乳頭は] 全くなかった。収容器の側壁および覆い蓋ガラス板の裏には全面にわたり露球の凝着が見られた。この結果は、日時を異にする数回の試験で毎回一致したところである。これより2つの結論を得た。すなわち、湿砂収容器内の水蒸気が [裸] 胚乳体面に凝着して露球にならないことが1つ目である。また、卵球がまだ [受精] 準備期に到達する以前では、[裸] 胚乳体面からの液球の分泌はないことが2つ目である。
 
《その2、受精期における銀杏について》
 第2表。花粉管または頸細胞を検鏡し、時々受精品を見た時、例えば大正6年 [1917年] 9月7日以後のように (第1表)、点検総数のうち6~10 %内外の受精品が混在する時期においてである。未受精品の裸胚乳体を湿砂収容器または水浸収容器 (中形あるいは大形)、あるいは寒天収容器その他に収容 [し置床] した。置床後約10~20 時間内外を経過する間に、液球列の分泌が見られたものを検出したことは、以前に述べたことと同じである。その液球の数、容量および [分泌が見られるまでの] 経過時間等には、もとより各材料でそれぞれ同様な差があるといえども、[液球が] 分泌される部位は一定範囲内に限られるのが観察された。また、液球の分泌状態は観察最初の時にすでにかなりの量に達し、[液球の] 数は比較的少ないことがある。あるいは、小さい液球がほぼ2列になり輪状を成すこともある。また、[裸] 胚乳体の色合により輪状に区切られ、これを拡大鏡で見て初めて微々たる液球列であると知ったこともあった。これらの微量な液球は後に増量するに従い、たがいに合体して液球数が減少することがある。あるいは、増量しない時もある。後者の場合は、観察のために度々覆い蓋ガラスを開いた影響により乾燥したもののようだ。頸細胞を検鏡すれば [受精の前後かどうかを判断するうえで] 受精前品に間違いないことを確認できた。また、同様の観察を経て受精前品であると確認した材料でも分泌液が全く見られないものは、実験毎に少数見られた。藤井氏は「土手」またはその内側付近から分泌されるとすべきであると注意したが、私が数多くの実験を行ったところ、特別な場合を除くと藤井氏が指摘した部位では分泌液を検出したことがない。しかし、分泌液を検出した部位の組織は堤輪付近とほぼ同様であり、さらにその表皮細胞には微小な突起を有するものがある。また数回の実験において、受精後の胚乳体であると予想して試しに [収容器内に受精前品とともに] 加えたことがあった。この比較材料では決して分泌液を検出せず、これは注意すべき一事例である。本実験中の気象はほぼ第1項 [その1] で述べた参考試験の時と大差なかった。例えば、大正6年 [1917年] 9月7日から10日に至る4日間の通りであった。第1表。また、実験中での収容器の内壁と覆い蓋ガラス板の裏で見られた水球※52 の凝集状態は第1項と同じである。
 この実験での銀杏数個において、分泌液を吸収紙で軽く拭い取り、すぐに元の位置に置床した。その後、堤輪外側のいつもの輪郭で再び液球が分泌されるのを見たことがあるが、その液球の数や液量はともに極めて少なかった。この試験はわずか1回行っただけなので、これだけでは確認しがたいのは勿論であるが、次項 [その3] で記述する事実と合わせて考えれば、胚乳頭での分泌液量はおのずと限りがあるとの一事例とみることが出来るであろうか。
 今まで述べた実験により、卵球成育の某階級※53 に該当する胚乳体に限り、液球が分泌されるのは明らかである。かつ、[分泌] 液が多量のものは胚珠心内の腔洞を満たしてなお余りあるだろう。そのうえ、その液質が試験紙の反応で明らかな酸性であることを見ても、[分泌液は] 胚珠心内の溜液に該当すると言うべきである。すなわち、このことから藤井氏のいわゆる「誘出液」として認めることは不適当ではない。ただし、自然状態の銀杏では、受精終了品が観察総数の約20~35 %であるに過ぎない時期でも、収容器内の裸胚乳体では置床総数の約55~63 %、あるいは稀に全部で分泌液が見られた。後者では、実験材料の総数が少ないこと、また分泌液量が少ないものまでを含めた。今、仮にこれを除外するとしても、受精終了品数に対する差等がおおいに見られた。これはいささか疑いがないものである。あるいは、裸胚乳体がすでに人為的な実験施術を受けただけではなく、[裸胚乳体の] 周囲の状態が急変したために分泌が促進されたという人為的な結果ではなかろうか。これについて、まず分泌を促進するか否かの事例を得たいと思い、次項 [その3] に挙げた試験を試みた。
 
《その3、「クロロホルム」を含む [収容器の空] 気室内における実験(第1次の試験)》
 この実験については、[空] 気室を小さくするため、特に小形の湿砂収容器を用いた。そして、その実験に用いた銀杏は、この日に観察した総数に対し、約12 %の受精終了品が見られる銀杏の中から胚珠心の外観を見て未受精品と認定したもののみ10個を採用した。その裸胚乳体品を湿砂収容器内に輪座 [置床] させた後、中央に1本の小管を立て、これに「クロロホルム」を湿らせた脱脂綿少量を取り付けた。この処理後、約2 時間経過した頃に初めてこれを観察した。意外にもすでに胚乳体面には明らかな分泌液が見られた。これは異常な短時間である。そのうえ常に分泌液が見られた堤輪外周の輪郭にはもちろん、そのほかに所在が不規則な多数の大きい液球が散在するものがあり、その数は6個に及んだ。この他、比較的少量の湧液に留まったものが2個あった。他の2個では、堤輪外周には全く液球はなく、これに反して堤輪上または頸細胞付近に大きい液球を分泌し、これまた異常な事例であるとする。なお、その10個の材料において、肉皮の断面には溢れるほどの液の分泌が見られた。これもまた異常な事例として数えるべき1例である。試しにこれらの頸細胞を検鏡すると、前者8個は受精前品の特徴を保有していたが、後者の2個では [頸細胞が] 破壊され、かつ褐色を呈し、すなわち明らかに受精後品の特徴を示していた。後者の混在は全く [材料の] 選択が誤ったことではあったが、このことで注意すべき要点を得たことが明らかになった。それは [受精後品では] 堤輪外周には全く [分] 泌液が見られないという事実である。
 
《第2次の試験》
 分泌がおこるまでの時間を詳しく述べようと思い、すぐに重ねて実験を試みた。前回同様、小形の湿砂収容器を用い、まずその中央に「クロロホルム」小管を立て、クロロホルムガスが [空] 気室に充満するのを待って、7個の裸胚乳体を施術終了毎に次々と輪座 [置床] させ、絶えずこれを観察した。その経過時間の短いものはわずか3 分、長いものでも16 分間以内に明らかな [分] 泌液を見た。このほか、この輪座中に加えた1個は、普通の湿砂収容器内に置床してすぐに堤輪外周に [分] 泌液が見られた標品であり、その [分泌] 液を吸収紙で軽く払拭したものである。この銀杏に限っては前項 [その3] での受精後品と同様な結果を示した。これにより、[分] 泌液量には限りがあるとほぼ推察できるが、さらにこのことを精査する目的で、日時を隔てて次の実験を重ねた。
 
《第3次の実験》
 中形湿砂収容器を用い、その [空] 気室内に「クロロホルム」ガスが拡散するのを待ち、受精後品と認定した銀杏16個を収容した。[分] 泌液状態は堤輪外周においていつもの輪郭に小球※54 が甚だ少数まばらに散在するだけであったが、その [輪] 郭外にはやや大球※55 のものが多数存在するものもあった。あるいは皆無のものも約3分の1を占めた。これに反して、堤輪上またはその内側付近には [分] 泌液が見られたものが15個もあって、皆無のものはただ1個のみであった。この [分] 泌液は概ね頸細胞側に接して一座のみに、あるいは二座ともにあって、また稀に中央突起※56 の周囲を巡るものもあった。そうしてその液球の数は1個に1点、または2点あるものが多数を占め、3点あるものは甚だ少数に留まった (第18図)。また [分泌に要する] 時間については、堤輪外周での分泌は比較的速く、[実験開始後] 1.5~3 時間で [分泌を] 検出し、堤輪内側ではやや遅く、3~5 時間を [検出に] 費やした。その速いものといえども第2次 [の試験] で受精前の銀杏で見たものに比べれば大きな差があった。その後、これらの材料の頸細胞をひとつずつ検鏡し、その破壊かつ褐色を呈することに照らし合わせれば、ことごとく受精後の標品であることを確認した。
 これら3度の実験で明らかになったように、「クロロホルム」ガスは [分] 泌液を促進させるのに充分である。しかも第3次の実験で、堤輪内外には概ね明らかな湧液があるのにもかかわらず、いつもの [堤輪分] 泌液部局に限ればほとんど [分泌液が] 見られないことは、第2次実験での1個の参考材料で観察した結果と同様であった。これをもって湧液の分泌は無制限ではないことを知ると同時に、受精後品はことごとく、すでに1回、堤輪外周部局で分泌されたことがあるからだと推測することができる。
 
《その4、「オスミック」酸※57 を含む [空] 気室内における実験》
 中形湿砂収容器内へ未受精品の裸胚乳体10個および参考材料として、受精後品と認定した材料2個を収容した後、それらが輪座する中央に1本の小管を立て、これに「フレミング」氏の強固定液※58 少量を湿らせた脱脂綿を取り付けた。しばらくして、多くの胚乳体の肌色が少し黒褐色を帯びてきたのを見て、すぐに小管を除去した。それ以後、3昼夜を経過しても、[分] 泌液は皆無であった。その後、頸細胞を1つ1つ検鏡し、いずれも受精前品の特徴を保持しているのを見た。2個の参考材料は褐色を呈し、受精後品であることを知った。すなわち、もし通常の収容器中に入れれば、必ず堤輪外周に [分] 泌液があるはずの材料である。しかるに、[分泌液が] 皆無であったことは必然 [的な結果] で、有毒ガスに触れて生きている原形質が急速に固定されたことに起因するはずである。これについて考えると、分泌作用の要となるのは生きている原形質の機構にあり、一旦その機能を失えば、再び回復することがないようである。この見解は前述の実験毎に目撃した堤輪外周部局 [からの分泌] が有限である事実に照らし合わせれば、物事の要点をうまく捉えていると信じると同時に、ますますこの [分] 泌液を誘出液と認めるだけの理由があると信じる。
 
《その5、[分] 泌液と卵球との関係》  [分] 泌液が卵細胞の生死に関係するか否かを知る目的のため、1回の試験を試みた。実験材料は受精前品の裸胚乳体18個で、これらを中形湿砂収容器に収容した。それらのうち11個はあらかじめ卵細胞を破壊した。その施術は頸細胞の上からガラス毛細管を挿入し破壊したもの6個、熱した針で破壊したものが5個である。そして、残りの7個は比較材料とする目的で施術を加えなかった。これらの処置終了より約12~20 時間経過する間に、通常のように、いずれにも堤輪外周のいつもの部局で液球の分泌が見られた。その液量の多少も経過時間の遅速にもそれぞれ多少の差があることは、比較材料とともに普通の場合とほぼ同様であったが、概ね [経過] 時間においては比較材料におけるよりも [分泌は] 少し遅れた。すなわち、卵細胞の生死が [分] 泌液と直接関係があるとは思えない。ただし、この1回の実験では断言すべきでないのは勿論である。
 以上の [分] 泌液実験の記述は主として大正6年度 [1917年] の実験結果に係るものである。ゆえに材料とした銀杏は同一株の公孫樹から採取したもので、実験中の気象条件は数回の場合で大差ないものであった。第1表参照。

【裸胚乳頭に [分] 泌液が見られた卵球の内容】

《材料および方法》
 裸胚乳頭での [分] 泌液実験中、10~20 時間を経過して多少なりとも [分] 泌液が見られた材料中より、大正5年 [1916年] 度では18個、大正6年度 [1917年] では12個を選択し、別に参考資料として大正5年度では同一湿砂収容器中で全く湧液が見られなかった6個を選択して、各々別の [収容] 器内に収めて [薬品で] 固定した。その後、「プレパラート」調製に至るまでの処理方法は、いずれもすでに前述した定法に従った。
 
《その1、[分] 泌液が見られなかった参考品6個》
 その半数、すなわち3個6卵はいずれも充分成熟した中心細胞期に達していた。第1図。他の1個2卵は腹溝細胞形成末期であった。第3図。そして、なお1個ではその1卵は明らかに前胚形成に入る初程であり、すでに2個の娘核が対座した分裂末期を示していた [第14図]。そして、これと同一雌器窩に対座している1卵は受精した卵細胞もしくは受精しなかった卵細胞であった。これ以外の1個は [プレパラート] 調製上の失敗により、資料価値を備えていない。すなわち、この1個を除いた5個10卵では受精に必要な液体を要すべき時期にある内容を備えているものは皆無だった。これは明らかに [分] 泌液を見なかった事実と一致する。第3表参照。
 
《その2、[分] 泌液が見られた卵球の内容》
 大正5年 [1916年] 度品18個。その2個は処理を誤り廃棄したので、残り16個について [卵球の] 内容を調査したが、固定状態がすこぶる不完全で卵細胞質の一部が頸細胞の外側 [の造卵器室内] に漏れ出たまま固定した。このために、卵の内容ことに核の形状に実験に伴う人為的な異常を引き起こしたものが多数を占めたのは前述したところである。第3表第2欄カッコ内の卵数がこれである。すなわち、その [卵球の] 内容はかろうじて判断できるに過ぎず、詳察し難いのは勿論であるので、ほとんど損傷品に等しいが、前項 [その1] の参考資料品と比べれば、[卵細胞の] 内容では相違するのは明らかである。かつ受精期に入った材料では固定上に欠点があるため、卵細胞質が [造卵器室内に] 漏れ出しやすい状態にある一事例に供しようと思い、表中に挿入しておいた。
 確実に固定されたと思われる少数 [の材料] において、5個7卵は [受精準備期] 1級品 (第4図)、3個4卵は [受精準備期] 2級品 (第5図)、そして2個2卵は [受精準備期] 3級品 (第6図) が見られた。これらの28※59 卵においては (他の5卵はわからない)、卵細胞質の底側部に小さい腔胞を1~3 [個] 検出したものは少なくないといえども、多数から成る大小の腔胞群を有するものは皆無であった。
 
《その3、[分] 泌液が見られた卵球内容》
 大正6年 [1917年] 度品12個。第3表第3欄。その5個10卵は受精準備期の1級 (第4図) で、2個4卵は [受精準備期] 2級 (第5図) に進み、6個9卵は [受精準備期] 3級 (第6~8図) に進んでいた。そして、2個2卵は [受精準備期] 4級 (第9図) であるのが見られた。それらのうち、同一雌器窩に対座する2卵でともに同一階級にあるものは8個であったが、2個では1階級、1個では2階級程度の差が見られるものもあった。また、同一雌器窩に3卵対座していたのはわずか1個であり、ともに [受精準備期] 1級であった。そうして、これらの卵球において、底側部に空胞群を検出しなかったのは前項 [その2] と同じである。
 前項 [その2] に挙げた卵球内容とその材料を、選択した戊 [5] 号、己 [6] 号 (第2表参照) と比較すると、[分] 泌量が豊富であるものは半数以下で、[受精準備期] 3級以上に進んだ卵球数に相当する。ゆえに卵球内容の発達程度と [分] 泌液量の多少とには密接な関係があるものと信ずる。すなわち、多数を占めた [受精準備期] 1、2級品では [分] 泌液量がわずかであるものとみなす。この事実は、裸胚乳頭は実験に伴う人為的な状態であるため、多少は [分] 泌液が促進されたような傾向にあるようだ。しかし、胚珠心内に溜液が見られた材料中にも [受精準備期] 1、2級程度のものがあることより (第3表第4欄)、自然状態のものに比べて著しい差異はないことを知るべきである。少量と称する [分] 泌液でも花粉管を浸すには充分で、かつ精虫がすでに成熟した時には、受精が必ずしも [受精準備期] 3級程度以上にまで腔胞が発達するのを待ってから行われるとは限らないことも、まだわからない。なぜならば、受精の初期または中期品では大きい腔胞または [形成後の精虫の] 収容 [液] 室を備えていないものがあることを度々検出することがあるからである (第11、12図)。すなわち、裸胚乳頭では元来受精すべき可能性がないので、腔胞の発達はおのずと極度に小さくなるはずである。ゆえに、この材料で胚珠心内に溜液を見たものに比べれば、[受精準備期] 3級品以上を含む数が前者に多いはずであるのは当然なことである。後者では稀だがなお相当する階級にある卵球を検出した (第3表第5欄参照。また、第10図および第13図は明治39年 [1906年] の採集品であるので、表中には加えていない)。精虫の発達が遅れたため、あたかも裸胚乳体におけるような状態の下で存在する品であると思われる。この見解が妥当ならば、あるいは [精子の] 収容 [液] 室の容積が (卵細胞質の収縮がやや甚だしいため過大になるように) 広くなったものでも、精虫を収容した際になお [収容液室が] 存在することより見れば (第10および13図)、収容 [液] 室内の液体は [卵球] 内部に存在して役目を果たすものであるから、受精時に頸細胞の上部に放出されないのは明らかである。ゆえに、仮にその [液体の] 一部分が [頸細胞を通過して造卵器室内に] 浸み出すとしても、頸細胞の表面をわずかに潤す程度に過ぎないはずである。この液体は藤井氏が推測したいわゆる「誘入液」に相当する [藤井, 1899年]。裸胚乳頭実験において、[分] 泌液が多い材料の頸細胞を検鏡すると、常に湿潤性を帯びている。この頸細胞に先端が鋭い試験紙を触れさせると、かすかに酸性反応を呈する。しかし、収容 [液] 室内の液質はまだ知ることが出来ないのは遺憾である。
 「クロロホルム」ガスを含んだ [空] 気室の裸胚乳頭においてのみ堤輪上またはその付近に見える [分] 泌液は、藤井氏が特に指摘した箇所に相当するものである [藤井, 1899年]。しかしながら、その [分] 泌液は受精を終了した胚乳体で [見られるもので] あり、しかも分泌には多くの時間を要し、かつ特異な状態のときに限られることを考えれば、誘出液としては、むしろ分泌がほとんど受精前品に限られることから、堤輪外周のいつもの部局で見られる液球が妥当であると主張せざるを得ない。ただし、両者ともに試験紙に対する反応はかなりの酸性で、胚珠心内の溜液も同様な反応を呈することより、いずれも同質であるといえる。このほか、液質については1、2 の実験およびベニシダの精虫に対して正の走化性反応を引き起こすなどの試験を行ってみたが、なお繰り返し実験する必要があるので、今はこのことを省略する。
 池野氏の研究によれば [池野, 1901年]、ソテツの生殖器官および受精は主要な点で多くイチョウに一致する。しかし、三宅氏の説によれば [三宅, 1905年]、ソテツの胚珠心内の溜液は花粉管内の液とともに試験紙に対する反応は明らかな酸性であることは、イチョウで見られることと一致する。すなわち、両植物において、溜液がともに酸性である点で一致し、そしてイチョウでは溜液も堤輪外周で見られる [分] 泌液も同質であることから考えると、池野氏がソテツの胚珠心内の溜液は花粉管に由来するものではない [池野, 1899年] という主張を否認した三宅氏の根拠は [三宅, 1905年]、むしろ弱いように思える。すなわち、私は池野氏の説が妥当であるべきだと思うとともに、ソテツにおいても誘出液の湧 [出] 源がもしかするとイチョウと一致すると思うに至った。

摘要
1. イチョウの卵球において、卵細胞の核が成育を完了するとともに、卵細胞質の頂部には [精虫の収容室となる] 大きい腔胞が形成される。同時に雌器窩の堤輪外側の一定の部局に相当する胚乳体組織面から分泌される酸性の液体がある。これら三者間には関連するところがある。
 
2. 堤輪の外周あたりに分泌される液量は、胚珠心内の腔洞内の気体をすべて追い出し、気体に代わり腔洞内を満たすのに充分である。この浸潤液を待って初めて、精虫は花粉 [管] 外へ遊泳することができる。すなわち、この液を誘出液と称するべきである。
 
3. 誘出液の分泌は生きている原形質が関与するので、その分泌作用には制限がある。もし原形質が [クロロホルムにより] 麻酔状態になった場合、その機構を失い分泌作用に乱れをきたすだろう。
 
4. 卵細胞質の頂部の大きい腔胞は崩壊し、この場所に精虫を迎え入れる収容液室が準備され、同時に [この収容液室を満たす] 液体の少量は頸細胞の間隙から [造卵器室内へ] 浸み出すようである。この液を誘入液と称するべきである。
 
5. 卵細胞質の頂部 [に形成される] 収容 [液] 室は数個の精虫を収容してもまだ余地があるだろう。ここに留まる数個の精虫が見られることがあるが、受精に関わるのはそれらのうちの1個の精虫だけである。そして、受精後には、この収容 [液] 室は細胞質 [基質] で満たされることになる。
 
6. 受精前後の卵球の底部や一側部には数多くの大小の腔胞群があり、それらの消長は収容液室の消長に関係している。これは [これらの腔胞群が] すぐには増減しない卵細胞質の中に [形成される] 収容 [液] 室に該当すると思われる。
 
7. 腹溝細胞の形成と受精状態等については、第1報告 [平瀬, 1895年] に記述しなかったのだが、今回はこれを詳しく観察できた。しかし、すでにイチョウ [池野, 1898年] とソテツ [平瀬, 1895年; 池野, 1898年; ウエッバー, 1901年] で詳しく知られたことに一致するものは説明を省略することとする。
 
 
本実験に必要な器械、薬品および染料一式は、京都市島津製作所標本部から提供を受けたので、自宅にて自由に研究することができた。また、池野理学博士からは貴重な蔵書をお借りすることができた。ここに謹んで感謝の意を表する。大正7年 [1918年] 春2月、洛西花園村の自宅にて著者記す。

 

[引用論文は省略]
 


 
図解
 
第1図より第14図まではすべてイチョウの1個の卵球縦断面をアッペ式「カメラルシーダ」により描画した [倍率] 77倍の拡大図である。
 
第1図 成育した中心細胞で核は頸細胞の下部に接し、卵細胞質の底側には大小多数の腔胞がある。
第2図 腹溝細胞形成期における間接分裂※60 後期に進み、卵球の一側方には大小多数の腔胞があるが、この切片では3個の最小の腔胞を見るのみ。
第3図 腹溝細胞形成期の間接分裂末期に進み、卵球の底側方に多くの腔胞がある。
第4図 腹溝細胞は卵細胞より離脱して頸細胞の下部に残存し、卵核は下降しかつ肥大する。受精準備期の1級品とする。
第5図 卵細胞の頂部には腹溝細胞が離脱した痕跡が存在し、その下部には小さい腔胞が2個現れる。ただし、そのうちの1個はわずかに一部分を左側方に見るのみ。[受精準備期の] 2級品とする。
第6図 卵細胞質の頂部には数個の腔胞が発達し、その中央の最も大きい腔胞内には少量のタンパク質がある。卵核は最も大きい腔胞の下部に沿って、弦月状を作る。[受精準備期の] 3級品とする。
第7図 [受精準備期の] 3級品で、腔胞内にはタンパク質がない。
第8図 [受精準備期の] 3級品だが、中央にある一胞は特に大きく、内部にタンパク質がある。卵核はほとんど三日月状になる。
第9図 卵細胞質の頂部は一直線状になり、卵球の上部には1つの大きな洞室※61 を生じる。卵核は弦月状になる。[受精準備期の] 4級品とする。
第10図 卵細胞質上部の洞室に3個の精虫を収容し、それらのうちの1個は体半分を [卵] 細胞質中に埋め込ませている。卵球の底側部には微小な数個の腔胞および数個のタンパク球がある [甲図]。乙図は第4切片での [卵細胞質] 頂部にある1個の精虫を示す。受精の初級※62 品とする。
第11図 小形の雄核 [精虫の核] は大形の雌核 [卵細胞の核] に接近する。そして、卵細胞質の左上側部に精虫が脱した螺旋部が残されている。また卵細胞質の頂部には、まばらで粗い部分および [卵] 核の下側には1つの小さい腔胞がある。[受精の] 初級品とする。
第12図 雌雄の両核はすでに合体し、卵細胞質の頂部には1個の小さい腔胞がある。[受精の] 中期品とする。
第13図 卵核の頂部には雄核が癒合した痕跡を留める。そして卵細胞質の頂部はほとんど一直線状になり、その底側部には数個の腔胞がある。[受精の] 後期品とする。
第14図 卵球の中央部には核の間接分裂中期にあるものが2個ある。その下部のものはわずかに一部分を示すのみ(第3切片にその中央部がある)。そして、卵細胞質の一側部には数多くの腔胞がある。また、その頂部には受精しなかった3個の精虫がある。前胚期である。
第15図 銀杏の胚乳体上半部の裸出状態。少し拡大する。(ヒ) 多肉皮。(カ) 核皮。(シ) 胚珠心の残部。(ハ) 胚乳体。(ツ) 堤輪。(ク) 雌器窩。(チ) 柱状突起。(ラ) 卵球の位置。
第16図 胚珠心とともに胚乳体の中軸を透かして見た縦断面である。2個の卵球。1個の懸垂する花粉管および胚珠心内の腔洞等を示す。拡大図。(シ) 胚珠心。(フ) 花粉管。(コ) 腔洞。(ハ) 胚乳体。(ツ) 堤輪。(チ) 柱状突起。(ラ) 卵球。
第17図 [珠孔側から見た] 胚乳体の平面図により、堤輪外周の液球の分泌状態を示す。少し拡大する。(エ) 液球。
第18図 第17図と同じ。堤輪内側に液球の分泌が3点ある状態を示す。少し拡大する。

 
注釈
 
※1 イチョウ
※2 「S」の誤字と思われる
※3 銀杏の珠心内を満たす受精に関する液体の総称 (誘出液、誘入液等)。花粉管から抜け出た精子が造卵器内の卵細胞まで泳ぐために必要な液体
※4 造卵器内の卵細胞上部に形成される精子を収容する部分
※5 ギンナン
※6 造卵器室
※7 精子
※8 受精液※3 を指すと思われる
※9 受精液※3 を指すと思われる
※10 造卵器を指すと思われる
※11 受精液※3 を指すと思われる
※12 精子を花粉管内から造卵器室内に誘出させる液
※13 精子を造卵器室内から造卵器内の卵細胞に誘入させる液
※14 受精液※3 を指すと思われる
※15 テントポール
※16 平瀬による「堤輪」(堤のように輪状に隆起した部分) に該当すると思われる
※17 造卵器上部の頸細胞がある凹んだ部分
※18 リトマス試験紙を指すと思われる
※19 造卵器室の上部
※20 受精液※3 を指すと思われる
※21 受精液※3 を指すと思われる
※22 細胞質が抜けた後の空胞のような部分
※23 精子収容液室※4 を指すと思われる
※24 「も」の脱字と思われる
※25 花梗が付いていた部分
※26 外種皮、果肉
※27 花梗
※28 花梗が付いていること
※29 中種皮
※30 外種皮※26
※31 外種皮※26
※32 中種皮※29
※33 テントポール※15 を指すと思われる
※34 小孔から外界への通路
※35 孔道※34 を指すと思われる
※36 孔道※34を指すと思われる
※37 受精液※3 を指すと思われる
※38 造卵器を指すと思われる
※39 連続切片
※40 この細胞が分裂して、腹溝細胞と卵細胞になる
※41 図解では「1級」
※42 半月
※43 受精液※3 を指すと思われる
※44 初級から4級に分けること
※45 図解では「後」
※46 階級
※47 中期と末期(後期)を指すと思われる
※48 細胞質分裂を伴わずに核分裂のみが行われる
※49 初級 (1級)
※50 裸胚乳体を指すと思われる
※51 分泌液※43(受精液※3)
※52 露球
※53 受精前品を指すと思われる
※54 液球※51(受精液※3)
※55 液球※51(受精液※3)
※56 テントポール※15 を指すと思われる
※57 四酸化オスミウム OsO4
※58 オスミック酸を含む
※59 18の誤りと思われる
※60 有糸分裂
※61 精子収容液室※4 を指すと思われる
※62 論文中では「初期」

【「引用論文」以外の主な参考文献】
池野成一郎 1930. 植物系統学. 裳華房, 東京.
Gifford, E. M and Foster, A. S. 1989. Morphology and evolution of vascular plants. 3rd. ed. W. H. Freeman and Co., New York.
平瀬作五郎 1894. 公孫樹ノ受胎初期ニ於ケル花粉細胞ノアットラクションスフィア. 植物学雑誌第8巻第91号.
平瀬作五郎 1898. イチョウの受精と胚発育の研究 第二報. 帝国大学理科大学紀要. 12.
堀 輝三 1996. イチョウの精子-その観察法-. 生物の科学 遺伝 50巻6号. 裳華房, 東京.
宮村新一 1996. イチョウの生殖. プランタ No. 47.
宮村新一 2020. イチョウは精子を作る-イチョウの精子に残された緑色植物の進化の足跡. 生物の科学 遺伝 74巻5号. NTS, 東京.
嶋村正樹 2018. 陸上植物の中心体と鞭毛. 植物科学最前線 9.
湯浅 明 1969. 植物の精子. 東京大学出版会, 東京.

【論文アウトライン】
○公孫樹の受精及び胚発育研究補修 1918年 平瀬作五郎
H. Hirase:-Further Studies on the Fertilization and Embryogeny in Ginkgo biloba.
1.【受精液および収容液室について】第16図.
2.【実験材料および処方】
3.【胚珠心の腔洞内を満たす液】
4.【胚珠心内に溜液が見られた銀杏の卵細胞の内容】第2表. 自然状態の銀杏を用いて作製したプレパラートの観察.
4-1《成熟した中心細胞》第1図.
4-2《腹溝細胞の形成》第2図. 第3図.
4-3《受精期に臨む卵球》第4図~第9図. 第2表. 受精準備期1~4級.
4-4《受精期》第10図~第13図.
4-5《前胚期》第14図.
5.【裸胚乳体面上での湧液実験】湧液の由来について. 実験による人為的な状態である裸胚乳体での観察.
5-1《目的および実験方法》第15図 (裸胚乳体).
5-2《収容器》
5-3《裸胚乳体において湧液が見られた発端》第17図.
5-4《その1 受精期に入っていない銀杏について》第1表.
5-5《その2 受精期における銀杏について》第1表. 第2表.
5-6《その3「クロロホルム」を含む [収容器の空] 気室内における実験》第1次の試験.
5-7《第2次の試験》クロロホルムによる麻酔条件下での分泌液観察の所要時間.
5-8《第3次の実験》クロロホルムによる麻酔条件下での液球観察. 第18図.
5-9《その4「オスミック」酸を含む [空] 気室内における実験》固定条件下での液球観察.
5-10《その5 [分] 泌液と卵球との関係》卵細胞の破壊実験. 第1表.
6. 【裸胚乳頭に [分] 泌液が見られた卵球の内容】プレパラートの観察.
6-1《材料および方法》
6-2《その1 [分] 泌液が見られなかった参考品6個》第1図. 第3図. 第3表.
6-3《その2 [分] 泌液が見られた卵球の内容》大正5年度. 第4図~第6図. 第3表.
6-4《その3 [分] 泌液が見られた卵球の内容》大正6年度. 第4図~第13図. 第2表. 第3表.
7. 摘要・謝辞
8. 表 (第1表~第3表)
9. 引用論文
10. 図解 (図の説明)
11. 論文の第1図版 (第1図~第18図). 第32巻第376号P371参照.