【書評】島崎 研一郎 会員著「気孔」
2023年12月15日
みなさま
島崎 研一郎 会員著「気孔」の書評を、静岡県立農林環境専門職大学・生産環境経営学部の丹羽 康夫 会員にご担当いただきました。加えて本会会長の書評も掲載しています。
日本植物学会に送られてきた書評用の本は、会員サイトで紹介し、書評希望者に差し上げることにしています。書評は生物科学ニュースで紹介いたします。
日本植物学会事務局
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島崎 研一郎 会員(九州大学名誉教授) 著 「気孔 -陸上植物の繁栄を支えるもの-」
新・生命科学シリーズ <編集委員会:太田 次郎・赤坂 甲治・浅島 誠・長田 敏行 >
裳華房 A5判/184頁/2色刷/定価2860円(本体2600円+税10%)/2023年8月25日発行
ISBN 978-4-7853-5875-4 C3045
目次など https://www.shokabo.co.jp/mybooks/ISBN978-4-7853-5875-4.htm
【書評1】
陸上における植物の生存を可能にしているのは気孔があるからであり、気孔の形成と進化がなければ、陸上は茶褐色で岩だらけの太古のままであるか、あるいは、川の流域の限られた地域のみが背丈の低い植物で覆われた世界であったと思われる、と著者が「はじめに」に記している。すなわち、気孔がなければ、光を効果的に吸収する広い葉も、背丈の高い植物も存在せず、導管による水や無機塩類の輸送もできない。つまり気孔という孔が、この地球上に出現していなかったら、我々の衣食住が成り立たなくなるばかりか、そもそも我々の存在にすら疑いを持たざるを得ないのではなかろうか、と考えさせられた。気孔は、光、CO2、植物ホルモンに加えて温度、湿度、大気汚染ガス、病原体にも応答するという。二刀流を遥かに凌ぐ七刀流といったところか。さらにはその様な気孔も、初期陸上植物と現生植物とではその役割は異なっていたことが紹介されている。
本書は気孔の進化の道筋をたどりながら、気孔の開閉機構を通して、植物における光や植物ホルモン、CO2の情報伝達とイオン輸送の具体例を示すことで、気孔の役割と機能を解説している。具体的には、気孔の構造と基本的な性質(1章)、その基本的および多様な役割(2章)、構造の変遷と機能の進化(3章)、光による開口と情報伝達(4章)、アブシジン酸による閉鎖と情報伝達(5章)、CO2に対する応答と情報伝達(6章)、形成機構と進化型気孔の特徴(7章)という構成になっており、本書の目的の一つとされている「気孔の開閉機構を通して、植物における光やホルモン、CO2の情報伝達とイオン輸送の具体例を示すこと」は、4,5,6章において、根拠となる突然変異体も駆使した電気生理学的なデータ等から得られた結果に基づいたモデル図として解説すること、さらには、そこに至るための研究のブレイクスルーとなった、孔辺細胞プロトプラスト、パッチクランプ法、シロイヌナズナ等について、歴史的な背景やエピソードとともにコラムとして掲載することにより、立体的に理解できるよう工夫されている。
また、1,2,3,7章を読むことで、気孔の進化と植物の関係、気孔の役割が理解できるように構成されている。実際に、気孔の獲得と開閉の巧妙な制御の進化により、現生植物が高い背丈をもち、広い葉を備え、強い陽の当たる内陸や乾燥した砂漠、熱帯から寒帯まで、さらには林床の日陰など異なる環境と地域に生育することができるようになったことが、キーワードや大切な概念はコラムとして補足することにより、筋道を立てて理解できるような配慮が感じられた。
2章の中の気孔の多様な働きの項目では、葉表面の1~2%にすぎない気孔から、陸地に降った雨の約6割が蒸散によって大気に戻っているという事象にもふれられ、気孔が地球環境におよぼす影響が非常に大きいことも実感としてうかがい知ることができる。
2023年1月には京都大学のグループを中心として、気孔のない植物における気孔形成因子の役割を解明した論文が「Nature Plants」誌に発表された。このことは、気孔にまつわる研究が、まさに現在進行中で重要な研究テーマの一つであることの現われであろう。このような研究の背景を読み解く上でも本書の重要性が今後一層増すことを確信した。
本シリーズは目次が非常に細分化されており、したがってそれらを追うだけでも本書の内容の概要を把握することができる。また、巻末には2023年の文献も引用されており、気孔の役割と機能をまとめたわが国初の書籍に最新の情報も盛り込もうとする著者の心意気が感じられた。また、これまでに解明されてきたこと、今後解明すべき課題について明確な指摘がなされている点は、本シリーズの刊行趣旨に沿うものとして好感が持てた。
仮に注文をつけさせていただけるならば、陸上植物の系統樹と維管束植物の系統樹の並び順をそろえて示していただいた方が分かりやすいのではなかろうか、という点と、地球環境の変遷と植物の進化の全体像をまとめて俯瞰できる図があれば、読者の理解がさらに容易になると同時に、気孔の進化についても様々な想像が膨らむのではないかと感じられた。具体的には表1.1と図1.2、1.3を一つにまとめた図であるが、ぜひとも次の機会にはご一考いただきたい。
いずれにしても、本書を読み終え、そのタイトルおよびサブタイトルに、著者が本書に込めた想いが過不足なく表現されていることに改めて感服させられた。
(静岡県立農林環境専門職大学・生産環境経営学部 丹羽康夫)
【書評2】
著者の島崎研一郎氏は、ソラマメやシロイヌナズナの気孔孔辺細胞のプロトプラストを気孔の研究に導入した気孔機能の「細胞生物学」研究の創始者である。青色光が孔辺細胞の細胞膜H+-ATPaseを活性化し、細胞膜電位を過分極させることを、飯野盛利氏やE. Zeiger氏らとともに鮮やかに示した。分子遺伝学的手法も早期に導入し、青色光による気孔開口、アブシジン酸や高CO2による気孔閉口に関わる因子を次々に同定してきた。多くの植物を用いた気孔機能の系統学的比較研究も進めた。研究室からは、名古屋大の木下俊則教授ら気鋭の研究者が輩出した。これらの業績により、2011年には日本植物学会の学術賞、2019年には大賞を受賞された。
本書は期待通りの仕上がりである。まず「仕込み」が素晴らしい。植物の進化が、地質時代とともに変化する気候やガス環境と関連づけて概説されている。気孔の生理学では必須の前提知識となる水ポテンシャルについては、多くの具体的数値をあげて解説してある。難関ともいえる電気生理学についても、パッチクランプ法による豊富なデータが丁寧に解説されているので、ついて行くことができた。気孔コンダクタンスと気孔開度の関係についても簡潔な言及がある。
そうした仕込みの上で、光・水分(アブシジン酸)・CO2濃度に対する気孔応答モデルの最新版が紹介されている。有用な変異体がどのように選抜されたか、そして、それらを駆使した分子生理学的検討に基づいてシグナル伝達モデルがどのように確立されたのかが、順を追って述べてある。仮説も図を用いて示されており、それが最新成果のまとめの図とよく対応していて理解を助けてくれる。
本書には、土井道生氏との共同研究の成果にもとづいて、気孔の形態や青色光やアブシジン酸への応答が系統群ごとに記載され、地質時代とともに変化してきた環境における気孔機能の進化が議論されている。気孔の発生過程とその系統間比較に関しても多くのページが割かれている。評者は、ツノゴケ類や蘚類の胞子体に存在する気孔は光合成のガス交換のためではなく胞子嚢や胞子を迅速に乾燥させるために存在することなど、始めて知ったことも多かった。
気孔といえば、腎臓型の姿を思い浮かべるが、イネ科の気孔複合体には副細胞があり、気孔孔辺細胞は亜鈴型である。これらの発生過程の違いについても説明されている。副細胞を形成しない変異体では、イネ科の孔辺細胞も腎臓型となり、副細胞の形成が孔辺細胞の形態を決めていることが明らかである。気孔の環境応答は、環境の目まぐるしい変動に追随し、すばやい方が有利な局面が多いと思われる。イネ科(とくにC4植物)の気孔は小型化し、気孔孔辺細胞とイオンの動きの逆の、ターボエンジンともいえる副細胞を備えていることで特に迅速な応答が可能となっている。一方で、薄暗い湿った環境で、シダ植物が大きな気孔をもつ意義についても生態学的に考察してある。
本書でもかなりのスペースを割いて言及されているが、日本の気孔研究者のパイオニアは、京大の今村駿一郎氏である。気孔が開く際の孔辺細胞の膨潤に、K⁺の流入が重要であることを見出し、1943年にドイツ語で発表された。ドイツ語だったためか引用者が少なく、日本の研究者が引用するにとどまった時期が長かった。島崎氏は、ミシガン州立大やゲッチンゲン大で活躍したRaschke教授が世界の気孔研究をリードした一因は、今村論文にいち早く接したことだと憶測されている。その今村氏は、定年退職後、南九州のカワゴケソウの研究をなさっていた。植物学会でポスター発表をなさっていたので、近くでポスター発表していた評者が挨拶したところ、「ドイツ語でなく英語で論文を早く発表せよ」と叱咤された。今村先生は、退職の記念の文集に「気孔研究のヒント集」を日本語でお書きになった。評者も持っていたはずだが、度重なる引っ越しの際に失くしてしまった。どなたかお持ちの方があれば、是非、植物学会のHPで共有させていただきたい。
本書には、ここまではわかったが、ここはわかっていない、ということがきちんと区別され、「今後の課題」が豊富に述べてある。これも大きな特徴と言える。したがって、本書は、「気孔研究ヒント集」としても、気孔研究の巨人今村博士のそれを継ぐものと言えよう。
(東京大学・生態調和農学機構、植物学会長 寺島一郎)